詩集 夜明けの灯台
植松晃一氏の「存在」への問い掛けは、
詩集のタイトルにもなった
「夜明けの灯台」になるための
絶えざる詩的表現の試みや
現実的な営みなのかも知れない。
(鈴木比佐雄 解説より)
解説:鈴木比佐雄
A5判/144頁/並製本 ISBN978-4-86435-672-5 C0092
2025年9月25日 初版発行
定価:1,650円(税込)
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読者の声
子どもたちとの詩はユーモアと共に愛情に満ちた瞬間が貴く描かれており、温かな眼差しと誠実な書きぶりが心地よい詩集でした。
良い詩集を読むことができて、共感・感動しました。生きる喜びと哀しみを思慮深く詩に託しています。研ぎ澄まされた感性が光る作品群だと思います。
植松さんの世代(※就職氷河期世代)の社会的な困難を背景に、生きることへの真摯な思いが強く伝わってきました。
該博な知識に裏付けられた広い視野に立っての作品の数々に感銘を受けました。宇宙を見つめる眼から生み出された詩篇の数々に心を開かれた思いです。装丁も内容と合っていて深みを感じました。
豊かな発想と視座。スケールの大きい世界観。抒情のある宇宙性を含んだところがあり、良いと思いました。
核兵器への怒り、反戦・平和を強く希求する姿勢を感じました。
詩集の最後に収録されている散文「追悼 デイヴィッド・クリーガー」も読み応えがありました。植松さんは平和を一時の「状態」に過ぎないと論じ、あらゆる機会に「関心を示す」ことが平和を創造し、維持する実践になるとしています。同感です。クリーガー氏(核時代平和財団創立者)の遺志を継がれていることに感銘を受けました。
作品概要
本詩集は「Ⅰ ともに在るということ」「Ⅱ 不在へのかなしみ」「Ⅲ 在と不在のはざまで」の三部から成り、合計三十八篇が収録されている。「存在」が大きなテーマであり、その「存在の意味」を問うている存在論的な姿勢が一貫して伝わってくる。
植松氏の詩を読むということは、植松氏という存在者が自らの実存を通して、どのような存在論的な問い掛けをしているのかを知ることだろう。そして読者が自らの「存在」とは何かが問われてくることなのだろう。
「いのちが/ないているのか」という問い掛けは、「存在論的抒情詩」とも言えるだろう。「存在のかなしみ」として生きることを課せられた思いをたった八行の詩で詠いあげた心に刻まれる詩だろう。(詩人・鈴木比佐雄氏の解説より)
【収録作品から】
右腕にむすこの頭
左腕にむすめの頭
ふたつの布団のまんなかで
十字架にかけられた男のように
じっと天を見つめる
これは苦役か浄罪か
捧げることにこそ幸せはあるとしても
使徒でも聖人でもないわたしは
ただ腰の痛みに耐える
「ぼくだけのぱぱだよ」と右耳をかじられ
「ずっと一緒にいてね」と左耳に願われる
眠りというまどろみの不安が
存在の支えを求めるのだろうか
しびれる両手でふたつの頭をなでる
永遠に続くわけではない
この一瞬にひたされながら
夢のあわいへ沈んでいく
(「はりつけの夜」)
呻き 泣き 祈ることは臆病なことか
掌中に灯る一点の蛍火
明滅する生命は
永遠に続く一瞬
一瞬に流れる無限
天を束ねるポラリスよ
蜉蝣のあけない夜に
せめてもの夢を
胸中に沈む我がポラリスよ
暗澹の時を燃やし
夜明けの灯台となれ
(「あけない夜に」から)
わけもなく
かなしみがおしよせる
わけもなく
むねがいたむ
いのちが
ないているのか
なすすべなくひとりで
あてもなくよるをみあげる
(「わけもなく」)